バイラルメディアに結論を出そう

2013年の暮れから同時多発的に発生し、今では国内で40種以上存在していると言われるバイラルメディアですが、半年ほど色々考えた結果、個人的ではありますが本領域に対して現時点での結論を出したいと思います。

バイラルメディアとは何か

諸説あるかと思いますが、個人的にはCuRAZYの伊藤さんの提唱しているあたりのレンジで良いのではないかと思っています。「ソーシャルニュースフィードに形式が最適化されたニュース・記事・情報を届けるメディア」という定義でしょうか。このあたりは伊藤さんが大変詳しく書いておりますし、これからもどこかで詳しく書いてくれるのではないでしょうか。

メディア構造の変化

バイラルメディア急成長の裏側で、メディア構造の変化が起きていると感じます。

ソーシャルで拡散されやすいキャッチーなタイトルと興味を惹くOGP画像によってLikeを一気に獲得し、多くの人のニュースフィードに出現する-この動きは、「スマートフォンの普及」「回線の高速化」「facebookの普及」からの「facebook疲れ」「ニュースフィードコンテンツへの飽き」「Likeの希薄化、気軽化」など複数の要因がタイミング良く揃ったことによって起こったと考えていますが、とにかくこれまでの「検索結果の最適化」といった時代から大きく構造が変化したと言えるでしょう。

これまでは特定のプラットフォーム、特定のニュースメディアをブックマーク・またはホーム画面にアプリをインストールし、そこから各ニュースへと遷移する必要がありました。現在はfacebookを開き、ニュースフィードを見ていれば誰かがLikeしているコンテンツが、タイムリーな順に整理された状態で表示されます。これまでなかなか発見されなかった面白い記事が個別に「発掘」されるようになり、あるいはLikeを稼ぎやすいコンテンツを意図的に作りこむことでマーケティングコストを大幅に下げ、多くの人に無料で届けることが可能になったとも言えます。

ただし、この状況は長くは続かないでしょう。facebookのAds Product Leaderは「facebookのリーチを取りたければ、広告に投資をしてほしい」と明言しており、現在減少傾向であるオーガニックリーチがさらに少なくなることは避けられないでしょう。トラフィックの大部分をfacebookからの流入に頼っているため、ニュースフィードの表示ロジックが少し変更になるだけでもバイラルメディアへの影響値は極めて大きいと言えます。

参入障壁の低さ

バイラルメディアは切り口(ラベリング)、キャッチーなタイトル、OGP画像の3つがあれば誰でも作ることができます。この簡易さによって、多くのバイラルメディアが乱立する状況となりました。トラフィックが容易に集まるので、広告収益を目的としたメディアなども出てきています。多くのコンテンツは海外のメディアの翻訳引用記事や2chまとめサイトの人気記事の再編集なので、複数のメディアが同じネタを取り上げるという状況が多々発生します。またアクセスが伸びそうなネタをコピーしてアクセスを稼ぐことも可能なので、戦場では大変香ばしい攻防戦が繰り広げられております。

この市況を見ていると、ついついグルーポンに端を発するフラッシュマーケティングの一大ブームを想起してしまいます。2010年半ばから多くのフラッシュマーケティング会社が一斉に立ち上がり、営業力と手数料、返還条件などの消耗戦に突入し、最終的に資本力が優る会社だけに収斂されていきました。

この状況をバイラルメディアに当てはめて考えるとどうなるでしょうか。「いかにしてトラフィックを集めるのか?」という発想では、おそらくニュース引用の消耗戦に突入するのではないかと思っています。こうなると、最終的に生き残るのはコンテンツを保有するオールドメディアと、資本力のある大企業が運営するバイラルメディアになってしまいます。このままではベンチャーとして全く面白い勝負ではありません。

バイラルメディアは幻想なのか?

では、バイラルメディアは多くの人が「過熱」している、幻想なのでしょうか。そうではないと考えています。

私は、バイラルメディアが現在の社会にとって必要であり、明確な役割を持っていると考えます。

Googleの使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることでした。

バイラルメディアの使命は、世界中に点在する情報の感情を整理し、アクセシビリティを高めることです。

テキストの一致率だけでは、感情を表すことが出来ません。buzzfeedの「LOL」「OMG」「WTG」「Cute」といったコンテンツタギングは、世界中のニュースを感情によって再整理する試みではないでしょうか。定性的な「感情」を定量的なアルゴリズムとして落とせるのかどうか今はまだ分かりませんが、試みとしては非常に胸が熱くなりますし、何より必要性を感じます。

バイラルメディアのサイズは、戦略ではなくビジョンによって決まる

まだ仮説の域を出ませんが、そのような社会的な存在価値を考えていくと、現場の闘争自体は消耗戦になっていく一方で、メディアのサイズ自体はビジョンの大きさによって決定されるのではないか、と思っています。

「感情を整理し、混沌とした情報の渦の中から本当に面白いコンテンツを最適化した状態で届ける」といったビジョンがどれだけ明確にイメージできているかによって、大きくメディアのサイズが変わってくるのではないか、と思っています。

「バイラルメディアによって何の価値を届けるのか」という問いであるとも言えます。Smartnews、Gunosyは記事に「選別」を加えたことによって価値を産みました。さらにNewspicksは記事に「識者の一言」を加えました。では、バイラルメディアは何の価値を提供するのか。各メディアが仮説を持って取り組んでいく部分かとは思いますが、個人的には感情の整理がキーになってくるかと思っています。

広告はEye CatchからEmotionalへ

もう一つ見逃せない変化としては、広告の変化です。buzzfeedの広告は極めて自然な形でコンテンツとして内包されることが多く、広告の打ち出し方も非常に独特です。広告についてそこまで深く研究できていないので詳しく言及することは避けますが、「極めて自然な形で」「ユーザー自身が能動的に」受け取る広告だと感じています。Instagramの企業利用に近いものを感じていますが、バイラルメディアにおける広告の在り方も徐々に変化していくと思われます。

コンテンツは引用からオリジナルへ

これに関してはもう言うまでも無く、引用からオリジナルへと変化していくと思います。佐藤さんが記事でも書かれているようにコラボレーション、という形も1つのオリジナルの形であり、「特定のバイラルメディアから始まるコンテンツ」がポイントになってくるのではないでしょうか。引用自体は労働集約型から資本集約型へと変わっていくと考えています。そもそもニュースフィード上で同じネタを扱ったニュースが複数のパネルで出てくるというユーザー体験は苦痛だと考えています。(同じような記事だが異なるバイラルメディアに、それぞれ友人たちがLikeした場合に起こる状況)こちらに関してはfacebookから何らかの改善が加えられることを期待しています。

バイラルメディアにおける螺旋的発展とは何か

バイラルメディアが生まれたことによって、何が起こっているのでしょうか。

何かが生み出されると同時に、何が失われているのでしょうか。

個人的には、以下を考えています。

・ニュースが簡便になり、ディテールが失われた
・言語の壁が取り払われ、翻訳する手間が失われた

情報に感情が付与されると、何が起こるのでしょうか。

記事そのものは文字の羅列ですが、

その内容は心あたたまるものかもしれない。

あるいは、切ないものかもしれない。

感情を整理して提供するメディア、それがバイラルメディアの結論だと考えています。