あえて極論で考える

毎日会社に行って、

毎日同じような仕事をして早二年が経過してしまいました。

時の流れは有限でとても早く、

自分が時間を投資しているという感覚をすぐに忘れがちで、

気付いたときには予想とはすごく離れた場所に到着しています。

社会人になりたての頃は、最初こそ新鮮なのでいろいろ夢中になってやってたのですが、

割とナチュラルハイの労働時間で二年もやってしまった結果、

全ての原理原則は一緒であり、物事はある一定のアウトラインに沿って発生しており

いくつかの想定外な突発的事象を除くと、ほぼ全ての事象はあらかじめ予想と対策が出来る(もしくは出来たはずだったと分かる)状態になりました。

今は主に個人に労働集約していたものを自動化させ、

空いた時間にややクリエイティブな仕事が出来るような

仕組みを考える仕事をしています。

自分の思考の中では、既存のフレームワークへの引力とでも言いますか、もともとある思考の中へ自分を持っていこうとする力が半端ないです。

本当に気付いたらいつもの流れに巻き込まれています。

一生をバーチャルリアリティーの中で何度も繰り返していると気付かずに過ごす、映画マトリックスの住人のように。

ただこれではどうやってもマイナーアップデートにしかならないので、

最近はあえて極論で考えるようにしています。

「いやいや、それは」というアイデアから始めないと、今の枠組みからジャンプして思考することは難しいと感じているからです。

なので、設問がなされた瞬間に、まず極論だとどうなるか考えて、その後現実線を少しずつ足していってひとつのアイデアの形にします。

最終的に、どう考えても既存の枠組みとほとんど変わらない凡庸な案に着地するケースも多々あるのですが、その時は自分の力不足だと思っています。

また経年で変わる可能性があるので、

新しい気付きがあったら書いていきます。