統率者としての素質について

マネジメント層の育成について考えを巡らせていたところ、前提として、管理職に就くためには、統率者としての素質が必要だと考えています。統率者としての素質を考えたとき、「人徳」というKPIが一定以上無いと、指示命令系統が正しく繋がっていかないのではないか?というのが、現在の仮説です。人徳は、一定のプログラムによって学ぶものというよりは、元々持っている素質に対して、外部からの刺激を与える、例えば人徳が高い人の薫陶を直接受けたりですとか、そういったことによって元からある才能が発芽し、人それぞれの特色を持ったマネジメントスタイルに帰着していくのではないか、と考えています。何故、元々持っている素質、という外部要因にこだわっているかというと、僕自身がこれまで見てきた少ない経験の上では、社会人に出て仕事を覚えてから統率者としての能力を身につけた、という人は見たことがなく、元からある程度人望を集めたり人材教育について関心と素質(といくばくかの経験と、もしかすると成功体験)がある人が、もともとあった潜在的な能力を顕在化させていく、という成長のマイルストーンしか、事例として知らないからです。マネジメント層になりたい、将来経営者になりたい、という想いを持つことは、チャレンジングな目標を持つという意味で非常に素晴らしいことですが、自分自身が様々な経験をする中で、統率者なのか、それとも統率者の指令の元、任務を忠実にこなすトップレベルの武官なのか、はたまた本部陣営内で策を練る戦略家なのか、自分がどういった適正があり、何を得意, 不得意 としているかをしっかりと分析して把握しておくと、自分自身のパフォーマンスを最適化していく上で有利に戦局や政治が進むのではないかと感じています。イチロー選手は、「少年たちに、野球選手になりたい、という夢を僕は提供してしまっているかもしれないが、野球選手という職業は、簡単にオススメできるものではない。想像を絶する様なプレッシャーと、膨大な期待に対して身を削る仕事。」と言っていました。かと言って、最初から自分自身の特徴が全部把握出来ている人間は居ませんので、まずはやってみて、合っていると思えば続ければ良いし、合っていないと感じたら無理に同じ位置で戦おうとせず、ポジションを自分から探して変えてみる、というのをオススメします。自分自身のキャリアは、自分自身で切り開き、選択する他、ありません。待っていても、ラッキーなチケットは回ってきませんので、自分自身が運命を主体的に切り開いていけるよう、日々トレーニングやアウトプットの高さを磨いていく、というのは、とても合理的な行動だと思います。