卑下ではなく謙虚、適度な慇懃と線引き

誰に対しても謙虚でありたいと考えていますが、謙虚になることと卑下するということの違い ー僕が新卒だった頃に当時の師匠が口を酸っぱくして教えてくれていた内容でもあるー を、最近強く感じています。丁寧すぎても相手に失礼になってしまう。かといって、シンプルすぎる対応は相手を不快にする。非常に難しいのは、人は環境に対して染まってしまうということです。今居る環境は非常に快適であるものの、暴力的なコミュニケーションが当たり前の環境にいたとしたら、それを当たり前としてしまうでしょう。人間は、朱に交われば赤くなる生き物なのです。内勤の方々は中で腐敗する種を育ててしまわないように気を配らなければなりませんし、外回りの方々は外からそうした文化を持ち込まないように注意しなくてはなりません。人間は多かれ少なかれ、毎日何らかの影響を受けながら変化をとげ、時が過ぎていく生き物です。故に、チームというのは常に変わり続けるのです。会社というのは常に一定ではなく、変わり続けるのです。昔からずっと同じ業績で、変わらず10年ほどやっているような会社でも、中に入ってみると様々な事が変わっているものです。雇用者であれば、経営環境を整えることに責任があります。ここでいう経営環境の基準は、働きごこちが良いということが重要なのではなく、収益性をいかに担保できているかということです。被雇用者であれば、基本的には与えられたビジョンの中で自分自身を沿わせながら、少しづつ良質な変化を与えていくというスタイルになるかと思いますが、大きな変革は難しいと思います(※個人の意見です)。合わないと思えばすぐに進路を変え、再度設計をし直すというスタンスが大事な気がします。100%自分に適応する環境を探すのは難しいと思うので、ある程度自分自身を適応させることに対し許容する必要はあると思いますが、最後に付き合っていくのは自分自身の身体そのものですので、適度な線引をしながら生きてゆかれるのが良いのではないかと思います。そうした意味で、経営者は精神的に気楽だと思います。もちろん、様々なプレッシャーは代償としてあるのですが。