イエス・ノー どちらを答えても怒られる「虚無な問い」

突然、懐かしいシーンを思い出しました。中学と高校でラグビーを真剣にしていたときのことです。監督からあるシチュエーションにおいて怒られたことがありました。「お前はやる気があるのか?」という類の質問でした。これは、当時の僕は「地獄の二択式設問」と呼んでいたのですが、イエス(はい)と答えてもノー(いいえ)と答えても結局怒られる、というものです。この質問に対して、少年時代の僕はずっと頭を悩ませていました。「この質問をすることによって、監督は一体何が得たいのか?」と。

やる気がありますと答えたら、ではなぜこのやる気のないプレーをしていたのか、というシナリオで怒られる。このシナリオにおける怒りのボルテージを定量的に表現して、50だとします。やる気がありませんと答えたら、当然ふざけんな、帰れとなる。このシナリオにおける怒りのボルテージは1,000くらい。だとしたらやる気がありますと答えるしか無い、そうなると最早これは誘導尋問、回答が想定できる問答ということになり、なぜあえてこの設問を選ばせるのか?ということで非常に疑問を感じていたのです。

こういったシチュエーションは社会人においても割と出現します。上司から、「おいお前、ナメてんのか?」と言われるシチュエーション。この場合、複数の意味が含まれているため、まずはその相手方は一体なにに対して怒っているのか整理することをおすすめします。

①「おいお前、俺をナメてんのか?」のケース
このケースは少しタチが悪いと感じます。部下に、「僕の上司は自尊心が低いのかな?」と思わせてしまうからです。上司をナメるかどうかは、日頃の上司の振る舞いによって自然と決定しております。これは社会的な動物として産まれた人間の遺伝子から来る本能的行動ですので、もはやどうしようもありません。上司のさらに上の上司は、ナメられるような人を上司に据えるべきではない、というのがそもそもの問題なのです。話を戻します。「おいお前、俺をナメてんのか?」と言われて、「はい、貴方様をナメて、いやナメさせていただいております。」という発言ができる方がいたとしたら、なかなかの強者でしょう。僕はそういう人は好きですが、日本で生き抜いていくのはそれなりの覚悟と代償が必要になるものと思われます。ぜひ、がんばってください。さて一方で、一般的に多くの人々は「いえ!ナメているわけでは無いのです!(かくかくしかじか…)」という否定から入ることとなるでしょう。僕としてはこの謎の否定から入らせるパターンは「上司がマウンティングしたいというニーズ」を満たす以外にあまり想像ができず、社会に価値を還元する企業活動として意味をどう見出したらよいのだろうかとしばし戸惑ってしまいます。仮にナメていたとしても、ナメてますよ!とは言えない状況、その状況においては「ナメてませんよ!でも、こうした理由で怒られることをしているのは理解しております。ごめんなさい!次からはこうします!」というテンプレートを使っていただくのが正着なのではないでしょうか。

②「おいお前、仕事をナメてんのか?」のケース
こちらは①に比べて割と正当な言い分かと思います。上司をナメているのではなく仕事をナメていると上司が部下に対して思いを馳せるシーンというのは割とあるものです。いくつか要因はあるのですが、仕事に対する考え方であったり、視野であったり、「要は仕事のクオリティが上司の求める水準に満たされていない」ということだと理解すれば良いと思います。しかしながら「ナメてんのか?」と上司に言わしめたということは相当な怒りのポイントに触れてしまったか、相当クオリティが低かったか、相当上司が短気なのか、このいずれかのパターンに当てはまっているということですので、クオリティが低いなら原因を確かめてクオリティを高めることをおすすめします。上司の怒るポイントを把握するのが早ければ早いほど、自分の仕事はしやすくなることでしょう。上司が相当な短気であれば、短気な人をコントロールする最善の方法は何なのか学ぶつもりで頑張りましょう。

毎月給与が補償されているサラリーマンって本当にいい生き方ですよね。コツをつかんでうまいことわがままな自分を殺すことができれば、ここ日本国は一生食うに困らない国だと思います。