愛するということ

新卒1年目の時に成果が出ず死ぬほど悩んではちきれそうになっていた時に、先輩から1冊の本を読むことを勧められました。


エーリッヒ・フロム「愛するということ」


当時読んでみたものの、全く何のことを言っているのか全然頭に入ってこなくて、今思い出して内容を振り返ってみると、かなり高次なことを言っていると思い、当時の僕に対するおすすめ本としては明らかにミスチョイスなんじゃないかと思いました。(失礼!)いくつか、印象的な部分を転載します。


愛というものは簡単に浸れるような感情ではない。

真の意味で人を愛するには、自分の人格を発達させ、

それが生産的な方向に向くよう全力で努力しなければならない。

われわれが生きているこの社会では、

愛する能力を身につけることは容易ではない。

実際、真に人を愛することのできる人は驚くほどに少ない。

しかし愛する能力を身につけるための仕事が困難だからといって、その努力を放棄してはならない。

愛は人間のなかにある能動的な力である。

人を他の人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、

人と人とを結びつける力である。

愛によって、人は孤独感や孤立感を克服するが、

依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。

母親の愛は無条件の愛である。

母親に愛されるというすべての経験は統合され、

私は愛されているという経験へと結晶する。

しなければならないことといったら、生きていること、

そして母親の子どもであることだけだ。

無条件であるだけに、

どんなことをしても創りだすことはできない。

父親の愛は条件つきの愛である。

子どもを教育し、世界へつながる道を教える。

条件つきなので、父親の愛を受けるには資格がいる、

つまり期待にこたえなかった場合にはその愛を失う

ということである。

父親の愛の性質からすると、

服従こそが最大の美徳である。


全くもって深いです。22歳の少年だった自分には、1ミクロンも理解できませんでした。

仕事における愛の重要性は、何かの要因によって深く傷ついて痛みを知るか、誰かに強く愛されることによる感謝によって初めて気付くことができるのではないかと感じています。

海の広さを計り知ることはできませんが、海の広さを知ろうとするには、まず海岸に行って海を自分の目で見て、水辺から砂を手ですくい、波の音を耳で聞き、海水のしょっぱさを舌で舐めてみるのが1番です。

途方も無く、高くみえる山も、登っていればいつか必ず登頂がやってきます。