スタートアップジョインから2年が経過

時の流れというのは非常に興味深いもので、1日は24時間、1年は365日と完全に定量化されているにも関わらず、その時々の自分自身の精神状況によって時間の経過を早く感じることもあれば遅く感じることもあるという、普遍的事実として存在する定量としての尺度と客観的事実として感じる定性的な感覚との間で認識が食い違うことがしばしばあるように思います。前職を辞しベンチャーに転向してきて、本日をもって2年が経過しました。この時の流れをどう捉えるか、という冒頭の話ですが2年という時間は定量としての尺度でいえば大変短いものとなります。しかし、客観的事実として感じる定性的な感覚としては、約10年分はあったように思います。2年という期間の中で発生した事象の各論において早い遅いという時の流れの変化はあるものの、総論として時の流れは遅く感じられ、時には時間軸が歪んでいるのではないかと思うほど自分の肌にこびりつくような時の重さを感じることが多かったように思います。では、私はどのような状況下において時の流れが重たくなっているのでしょうか。


入社して1ヶ月のエントリには時の流れが早く感じると書いてあり、事実としてこの頃は非常に早く時が流れていることを感じていました。入社して1年ほど、2016年12月頃までは極めて軽やかな時の流れを感じていたように思います。2016年5月の第9期決算報告会で最後に流されたコンテンツを見た時の経験、衝撃を私は向こう10年は忘れることができないでしょう。時系列であった変化としては、2016年4月に本部長へ就任し、2017年6月に取締役へ就任しました。取締役就任以降は時の流れが極めて遅くなったといえます。思えば2017年1月頃からこの状況は少しづつ始まっていたのかもしれません。本ブログの2017年中のエントリの少なさ、そして、年初に書いたエントリの内容がそれを物語っています。自分自身が想像した論理や前提条件が覆されるということが、ある意味人生で最も多く発生した1年だったかもしれません。これらの状況を整理すると、私の時の流れは藻掻きながら苦しんでいる時は遅く感じ、順調に推移している時は早く感じるのかもしれません。なお、2015年12月からの2年間を10年として考えるならば、2017年6月から今までの半年間で約9年分を充当しているような感覚です。これが一体何を意味するのか、来年の今頃にはまた新たな観点を得られているのかもしれません。


自分自身の環境変化と行動変化でいくと、いくつか大きな意思決定を公私ともに行いました。2018年から徐々に形に現れていくことと思います。また、髪型を人生で初めての坊主頭にし、体重を増やし始めました。2017年の入りはダイエット企画からだったため、その後糖質制限を継続することで体重の平均は63kg台となっておりましたが、現在はバルクアップを行っており70kgを突破しています。2017年の私的生産活動に関しては5月の愛媛釣行に端を発するショアからのソルトウォーターフィッシングが90%以上を占める結果となりました。このことからもやはり2017年5月〜6月の間で発生した出来事が自分の中で大きなターニングポイントになっていたものと思われます。愛媛県は愛南町をベースとし、宇和島、大月、そして少し足を伸ばして高知県宿毛市松田川、大月といった日本有数の豊富な漁場が私のON/OFFを切り替え、アセスメントにおいて重要な役割を担ってくれました。半年に及ぶ愛媛への修行の結果得られた最大の学びと断言できるものとしては、「可視化できる状態で経験を積む」ということです。発端は秋イカと呼ばれる産後間もないアオリイカを陸地から見える状態で釣る、サイトフィッシングを行ったことでした。これ迄、餌木を用いたアオリイカ釣りについては暗闇の中で何が起こっているか全くわからない状態の見よう見まねで行っていましたが、秋イカのサイトを経たことにより、捕食までの一部始終を可視化された状態で確認することができました。この、可視化された状態で試行錯誤する、パターンを頭と身体に叩き込むという鍛錬の方法は、釣りだけでなく、様々な分野において転用ができる学びだと感じました。本ブログによる言語化とログ化についても同一の目的を有しています。


個人の感想では愉快で楽しいというよりも悩み苦しむ比率の方が高かった2017年でしたが、悪い妻を持てば哲学者になるだろうという格言ではないですが、一方で様々な分野における考察を昨年以上に深められたことも事実です。自分自身が最も変化した歳と言っても過言ではないかもしれません。大抵、苦しい時期というのは自分自身が変化を遂げている時にほかならず、愉快な時期というのは自分自身の実力の範囲内でストレスフリーな状況下に有るということが多いです。もちろん困難な場面に対して胸が踊っているような状況もあるにはあるのですが、解決の糸口すら見えないような、本当に絶望しか無いという状況が今年は多々ありました。そのいくつかは解決することが出来ましたが、いくつかは今も目の前に山積しているという状態です。ベンチャーの醍醐味はそうした危機に直面することによって自分自身の限界を突破させることで実力をストレッチさせること、同一の時間軸を過ごすにしても密度・濃度の高い時間を過ごすことによって時間あたりの利益率を高められることにあります。自分自身が現場に赴きリスクを取り、仲間との出会いと別れを経て、刻一刻と変化する状況に対し自ら先手を打っていく、かつ、いつ出てくるか分からない競合の影に毎日怯えながら挑戦の決断を下し、背中から刺されないように誘惑に負けず誠実に正直に生きていくということ。各論で見ればどれも正当な意思決定であり、後から振り返ってみればまっすぐに歩いてきたように見えるのですが、今、その瞬間瞬間においては、様々な利害の中で逡巡を繰り返し、やってよいこととやってはいけないことの狭間の中で、どのように在りたいかという理念と使命と照らし合わせながら業績を上げていくということにコミットせねばならない、その状況下では常に右往左往しているのです。生き残ってきた人々の歩いてきた道を遠くから眺望すれば、まっすぐのように見えるのですが、歩いてきた本人にとっては、死の淵の連続なのです。2018年はポジティブなニュースを多く生み出せるよう、やっていくほか、ありません。