クソジーコ問題の難しさについて

みなさまは、クソジーコ問題をご存知でしょうか? http://storys.jp/story/8013


Freakoutの佐藤社長が定義したこの問題、私もご多分に漏れず、今でもずっと頭を抱えております。端的にいうと、自分自身がボトルネックとなっているのではないか?という考えと、自分自身が先頭を切って道を切り拓かなければ、誰がやるのか?という考え、2つの鬩ぎ合い(ジレンマ)です。なお本問題においてタイトルにも出てきているジーコ監督はただの「監督」という存在を強調させるためのアイコン的存在にすぎません。ジーコ監督自身がそうしたジレンマを抱えていたかどうかはつゆ知らず、はたまたそんな事があったわけではない、と佐藤社長も言ってはいるものの、あまりにもネーミングセンスが秀逸なためにジーコがクソなのであるという誤解をなさっている方も一定量いるのではないかと思うくらい、強烈かつ秀逸なキャッチコピーです。


さて、本題ですが、まだ僕の中では答えが出ていないというのが現状です。僕が最も重要と考えている山本五十六氏の教育フロー「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」にもやってみせるというフローがあったり、当社で施行している「教育の4step」というものでも、まず最初に手本を見せるというところから始まります。この手本を見せるという行程が必要な理由については、その後のアウトプットイメージをぶらさないという目的に加えて、私の解釈では、「この人が言って、こうやって、こうなるなら、このやり方で間違いないな」という、納得感の醸成が必要だからだと考えています。指示に対して納得できるかどうかというのは、組織における運動反射神経に大きく影響をきたします。組織における運動反射神経は、指揮命令をトップから末端まで届かせるまでのスピードであり、ここにおいてはトップダウン型を前提とした考え方ではありますが、組織のフェーズが拡大していくに連れ、トップダウン型とボトムアップ型でアプローチが分かれる場合もあります。


組織における問題の本質と、起こりうる問題のあらゆるパターンは「経営の教科書」に記載されていることが殆どなのではないかと思っていますが、納得感の形成においてはある程度トップが背中を見せることが重要であり、そのトップの背中を見て取締役陣が動き、本部長陣が動き、各部門に落ちていくという構図なのかと思っていますが、であれば、どこまでその背中を見せるのか、という権限委譲とバリュー提供のジレンマに再度陥るということになります。手を止めて悩んでいても仕方ないので、まずは量をこなし、クソジーコとなることを自分として許容しながら組織を前に進めるべく邁進しているのが今ですが、その中でも、自分の意思決定が全て正しいと考えないようにし、常に前例がないことに対して恐れず、既にやり続けていることをやめるということを恐れないようにしていきたいと思います。


クソジーコの旅は続きます。